インド・アジア編

世界には、日本の常識が通用しない風呂がある。

■インド・アジア編

《インド大陸》
インドと言えば、ガンジス川に代表される
沐浴の光景が有名だが…

 インドといえば、ガンジス川での沐浴風景が馴染み深い。

 風俗史の最初に「人の手によってつくられたものを共同浴場とする」と申し上げました。インドの場合は、沐浴に適したように、川岸を長い年月をかけて形つくってきた、と言えなくもありません。ということで、共同浴場として取り上げました。

 ガンジス川をはじめとする水浴光景は、私たちから見ると「あんな汚い川で沐浴していたら、救われるどころか病気になっちゃうよ」と心配になりそうです。
 が、インド人にとっては、古代から現代まで生活に根付いた宗教慣習として、大切なものなのでしょうね。

 しかし、インドではこうした川での沐浴はあっても、固有の風呂の生活慣習は残されていません。 あれだけ暑いところだから、手近な川で水に浸かるのが一番手っ取り早いわけで、わざわざカネのかかる風呂をつくる必要はなかったのでしょう。

 ただ、全くなかったのかと言えば、そうでもなく、文書や遺跡としては風呂が残されています。 紀元前2500年頃の遺跡からはグレートバス(下図)と呼ばれる大きな浴槽が見つかっています。

 この「風呂」は住宅地の中につくられたもので、用途としては、一般民衆の宗教的沐浴用と思われ、純粋には風呂とは言い難いが、共同入浴施設であったことには変わりないようです。

サウナもありました

 また、紀元前数世紀から紀元後数世紀に亘っては、熱気浴、蒸気浴の存在を記した文献が残されています。 ジャンターガラとかガンターガラ、あるいはジェンターカ発汗法、ナーディー発汗法と呼ばれるものです。 形状としてはサウナ小屋のようなもの建てていたと思われます。方式は直火であったり、熱した石に水 をかけるものだったり、他の国の古代のものとほぼ同じようなものを考えついたと思われます。

 用途は禊ぎ用というよりは、明らかに医学用に使われたと見られます。何故ならこうした記述が医学書の文献に書かれ、経典に書かれているわけではないからです。 現代にまで引き継がれてこなかったのも、この「風呂」が日常生活に根ざしたのではなく、医学用の特殊なもので、人の手を借りないと入浴できないものだったからではないか、と私は考えています。さすがアーユルヴェーダやヨガを生んだ国です。

《中国大陸》
現在中国では、日本から持ち込まれた
“健康ランド”が全国主要都市で大賑わい。

 現在、中国では健康ランドがブームです。全国主要都市に大小さまざま数多くの施設がつくられています。

 このブームの発端となったのは、1990年代初めに北京に開業した、第1号の健康ランド「東方康楽園」(下図)です。 健康ランド武蔵野(埼玉県川口市)の当時の関係者が、中国人民解放軍と合弁でつくったものです。

 計画段階では主要な客層は、北京に住む日本人ビジネスマンと想定していたわけですが、実際には中国人のリッチマンたちで大賑わいとなりました。
 あまり天然の温泉や大きな浴槽に浸かることがない一般の中国人にとって、日本が持ち込んだ“清潔で楽しい”健康ランドは、これまでに経験したことのないような、きわめて快適な気持ちよさであったと思われます。

 いまや健康ランドは、中国5千年の風俗の一端を変化させているようにさえ見受けられます。
 もともと中国は、水の供給に難があるためでしょうが、風呂や入浴とは縁の薄い国です。しかし、唐の時代には、【下の図】のような、日本の江戸時代の銭湯そっくりの公衆浴場(浴堂)の存在が記述されています。

浴槽には分厚いアカの層が・・・

 当時の浴堂はその後、姿を消しますが、現在の中国にも同じく浴堂と呼ばれる、男性専用の公衆浴場が営業しています。

 施設はこじんまりしていますが、アカスリやマッサージ、爪切りなどの機能を有していました。 イスラムの風呂(ハマム)の影響を受けているのでしょうか。

 ちなみに現在の中国では、おおむねそれぞれの家にシャワーか浴槽を持っていますが、いまだにタライで用を済ませている家も少なからずあるようです。 国によって衛生観念には大きな差がありますが、中国の場合は、たいてい浴槽にアカが分厚く浮いていたり、底に溜まっていたりしていて、いささか度を越しています。

 浴堂では浴槽の笠木が広くなっていて、そこに客を寝かせてアカをするのですが、そのアカを平気で浴槽内に落としてしまうのですから・・・。また、浴槽に浸かっている客も、ボリボリとアカをこすり落としてしまうので、あっと言う間にアカの層が出来るわけです。

 大方の日本人はこの浴槽に浸かるのに、かなりの抵抗を覚えるのではないでしょうか。

《朝鮮半島
韓国では、“チムジルバン”と呼ばれる
中温サウナが大人気。

 今日、我が国の健康ランドやスーパー銭湯などで人気を呼んでいるアカスリ、また一部の店にお目見得し始めたヒーリングサウナや汗蒸幕(ハンジュンマ)は、共にお隣り朝鮮半島にあるものを真似たもので、いわば“伝来品”です。
 これはごく近年になってからの話ですが、もっと昔を辿ればどうだったのでしょうか。

汗蒸幕の外観

 日本の仏教や文化は「インド→中国→朝鮮半島→日本」という経路で伝わってきました。 それでは古来の日本の風呂もまた、インド→中国→朝鮮半島→日本と伝来したものなのでしょうか?

 少し違うような気がします。部分的には仏教などと同様な伝来の影響はあるでしょうが、浴場に関しては、国(地域)による物理的な差が、その地域独特な風呂を生み出させたりしているように思います。といっても人間が考えることは、地域が違っても大きく異なるわけではなく、おおむね同じようなものを生み出していることも事実ですが。

長い歴史をもつ女性用サウナ「汗蒸幕」

 話を朝鮮半島に戻しましょう。

 家庭での風呂は古くはタライでの行水だったようですが、土着の公衆浴場としては、前述の窯状のサウナ「汗蒸幕」があります。起源はいつ頃か定かではありませんが、かなりの昔から利用されていたと思われます。(上の写真は汗蒸幕の外観) 

 まず焼き物を作るような大きな窯の中で枯れ松葉を燃やします。燃え尽きたところで湿した布をかぶったり、腰に巻いたりして入ります。 女性は下着を付けて入るのが一般的だったようですが、儒教の教え厳しい国だからでしょうか、むろん男女混浴ではありませんでした。

ヨモギ蒸しが変形したシットサウナ?

 昨今、日本の女性観光客がこの汗蒸体験を目的に韓国を訪れるケースが増えているようで、ポピュラーなものになってきたと同時に、再認識されるようになりました。

 これとは別に、主に医療用に用いられてきたものですが、仏教寺院には蒸気浴タイプの汗蒸もありました。いまは残されていないようです。
 韓国には明確な医療効果を目指したものが少なくありません。漢方湯とかヨモギ蒸しなどです。

大流行のチムジルバン

 現在の韓国の公衆浴場「サウナ湯」は、日本の公衆浴場に近いもので、近代になって日本から持ち込まれたものです。

 1980年代には大都市を中心に高級サウナ店が、地方には大型健康ランドが、それぞれ我が国から“輸出”され、つくられました。

ソウル市郊外のリゾート風チムジルバン施設

 また、1990年代後半、韓国に彗星のように現れ、あっという間に全国に広まった共同浴場があります。黄土汗蒸幕とかチムジルバン(写真上)と呼ばれる韓国式のサウナです。

 内訳話を申しますと、東京ドームシティにあるスパラクーアのヒーリングバーデは、ソウルでチムジルバンを体験し、ヒントを得ました。
 裸で利用する浴場では当然ですが男女は別々にされてしまいます。プールではなくて男女が「混浴」できるものはないかと模索していたとき、男女が館内着で一緒に汗をかいている光景を見て、この考え方を応用すれば「ゆける!」と確信した瞬間を鮮明に覚えています。
 スパラクーア開業直後から日本の大型温浴施設には、このヒーリングバーデのような岩盤浴施設がつくられるようになるのは、ご承知のとおりです。

2004年追補改訂

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