みたまの湯が成功した訳

「健康と温泉フォーラム」 2009年11月 掲載

公設日帰り温泉の成功事例
山梨県市川三郷町「みたまの湯」

■旅館・ホテルが1軒も無い町

 山梨県は、年間6,200万人もの客が訪れる(2004年データ)観光県である。ご承知のように富士山を始め南アルプス、中央アルプス、多摩・秩父山域、富士五湖など の自然と、そこに湧き出る温泉。武田信玄にまつわる歴史遺産。ぶどう、桃などの豊富な果樹生産。
 こうした様々な観光資源に加え、首都圏からのアクセスの良さが相まって、観光客は右肩上がりに増加の一途を辿ってきた。

 そんな観光県にありながら、町内に旅館・ホテルが1軒も無いという、およそ山梨らしからぬ観光とは無縁な珍しい自治体があった。それが今回の主役、三珠町(現在は合併して市川三郷町)である。

 当たり前だが町外から訪れる客などは皆無に等しく、県内の人たちに町の名を聞いても「名前は聞いたことがあるけど、どこにあるか知らない」と言われてしまうような、自他共に認める存在感の薄い町なのだ。

 三珠町は甲府盆地の南端、釜無川と笛吹川が交わるあたりに位置する。
曽根丘陵と呼ばれる小高い台地に、桃やぶどう、キュウイフルーツといった果樹、野沢菜やニンジン、とうもろこし等の野菜がつづく一帯があり、三珠町の市街というか集落は、その裾野に点在している。

 人口およそ4,200人、世帯数1,200(いずれも当時)の小さな町で、農業従事者が約20%。
 大半は周辺の工場等へ勤めに出る兼業農家が占める。
 三珠町には農業以外にこれといった産業が無い。その農業も息子達はみな勤め人になってしまうため、後継者がいなくて休耕する田が年々増えてゆく。そう遠くない時期にはこの町から農業が消えてゆくかもしれない、と誰もが心配している。
 近年は工業団地を造成、企業誘致にも努めたが、近隣の自治体に先を越された後で、そうそう人口増を期待できるような企業が進出してくる可能性は薄い。

■麦わら帽子に軽トラ町長の公約は温泉

 「私らはいいが、こんから先、この町はどうなるのか。畑は荒れる一方、スーパーマーケットもない、喫茶店もない、寿司屋もない。子供や孫たちが、いつまでこん地味な町にいてくれるずらかね」
 目深にかぶった麦わら帽子を少し上げるようにして、その人は穏和な丸顔を曇らせながら言う。

 日に焼けたシワ深い素朴な表情の影に、農に生きてきた日々の苦闘と、それを乗り越えてきた知力と誇りのようなものが感じられ、私は何故か、映画「七人の侍」で志村喬が演じたリーダー勘兵衛を重ね合わせていた。その重い口からは、地域が抱える産業の衰退と過疎化への深刻な不安が訥々と語られる。

 「だからこそ、一刻も早く活性化に取り組まないと、いまに町もなくなっちもう。何とか町興しにつながる温泉施設を考えてくれし」。想像していた町長のイメージとはまるで違っていて、麦わら帽子をかぶり、軽トラックを運転して現地にやってきた水上末雄三珠町長との、これが最初の出会いである。

 「そうか、この人は単にハコモノとして日帰り温泉をつくりたいわけではなく、この温泉施設に町の将来を賭けているんだ」。季節はずれの強い照りつけるような日差しの下で、私は得心した。

 地域の衰退に強い危機感を抱いた町民有志の後押しを受けて、水上氏は『自然を守り、農業と観光を結び、文化の高い町づくり』を公約に掲げ、この少し前の町長選挙で現職を破り、三珠町長に選ばれていた。そして、起剤として「日帰り温泉施設」を構想。実現に向けて奔走する中で、温泉やスパ施設のプロデュースを専門とする当社と行き会ったというわけ。

■町の将来を賭けた温泉事業

 1999年11月、毎分250リットルのアルカリ単純泉が湧出。
 同12月「三珠町温泉施設建設検討委員会」立ち上げ。
 翌12年4月、温泉施設の調査研究と基本構想策定が当社コスモクリエーションに正式に委託される。

 ちなみにこのときの委託料は300万円。当社にとっては、至極当たり前の請求であっても、人口4,200人の小さな町にとってこの金額は、仇おろそかにすることの出来ない大金である。
 それがあれば、足りない小学校の教材を購入することも出来たであろうし、お年寄りの 福祉事業を少しでも潤すことが出来たはず。なのに町長も担当の方々もそんなことは一言も口にすることはなかった。それが逆に、町財政の逼迫した現実をよりリアルに私には感じられ、痛いほど胸に突き刺さって来た。

 作業に入った当社では、有権者名簿から無作為に300人を抽出していただき、町民の生の声を吸い上げる一方、公共温泉施設を持つ県内自治体から実態把握のためのヒアリング行脚を開始した。同時に三珠町での温泉施設の方向性、事業スキーム、投資規模と採算 もくろみ等を詰める作業を併行して進める。

 そして、半年後「三珠町温泉利用施設計画」の素案が固まった。かいつまむと以下のような内容である。

《基本的な方向性》
・三珠町への人の流れをつくり出し、町に活気や賑わいを起こすことが、当該施設に課せられた最大の使命。
・眺望を活かす。どんな効能豊かな泉質の温泉でも、塀に囲われた風呂では魅力は半減してしまう。甲府盆地の夜景が最も綺麗に見える当地の丘陵を活かすことが、施設づくりの肝と捉える。
・楽しんで利用できる。明るいイメージの施設。公共っぽさを感じさせないデザイン。
「療養」よりは「健康・リラクゼーション・コミュニティ」を重視。
・「フォッサマグナ」にからめ、「ジオ・ダイナミック」「地球の恵み」をイメージ。エコロジー、地球環境といった、時代のトレンドに合わせた施設コンセプト。
・農産物や地場産業産品等の展示、実演、販売。特産品開発、ブランド化、イベント振興を民間レベルから立ち上げるための支援機能が必須。
・ローコスト・オペレーション、年中無休営業を可能とする施設づくり。
・従来の公共にみられる「温泉施設=福祉優先」という短絡的な施設づくりはしない。
・各地の日帰り温泉の例では町外や県外から大量集客している施設ほど、地元民の利用比率が高い。言葉や建前ではなく、結果として町民福祉につながること。

《商圏の想定》(町村名はいずれも当時)
・第1次商圏=三珠町、市川大門町(人口15,000人)
・第2次商圏=豊富村、田富町、甲西町、増穂町、鰍沢町、六郷町、下部町、上九一色村(人口63,000人) 近隣競合施設はいずれも公設であり、営業時間やサービス内容については顧客満足度 がそれほど高くないと推測されることから、これら施設の不満足部分をカバーする施設 づくりと民間による高付加価値運営を行うことで、他市町村からも吸引ができる。
・第3次商圏=甲府盆地全域~戦略商圏 ・広域商圏=首都圏および静岡、長野など隣接県からの誘客 入込観光客の立寄り、物産購買等を促進する施設の充実。誘客メニューの開発や広域 ルートへの組み込みによる積極的誘致策。情報発信が必須。首都圏在住の数万人とも言 われる温泉オタクが誘客の牽引役となる日帰り観光客の新たな流れをつくり出す。

《事業スキーム》
・民間の資金と運営能力を最大限に活用=PFI方式またはリースバック方式
・投資額=3億5千万円(全額借入、10年償還)
・年間の集客数=30万人(±5万人)
・売上想定=5億円

■資金調達のメドが立たない

 年が明けた2001年1月、上記の素案をベースに検討し作成された『三珠町温泉施設建設 計画について』が、建設検討委員会から町に答申された。

 実は、当社コスモクリエーションが委託を受けた業務は、これで無事終了、ご苦労サンとなるところだが、水上町長や担当職員の方々の郷土への熱い想いに感動していた吉川は、以後も協力を約束。三珠町から委嘱された建設準備委員という立場で、無報酬のボランティアとして事業および施設のプランニング&コンサルティングを続けることになる。

 三珠町では、この温泉施設計画に先だって、農水省の補助事業『中山間地域総合整備事業』を進めてきていたが、山梨県がこの事業資金を活用して、地域産品のPRや魅力ある農村づくりを促進するための活性化施設建設を決定してくれた。
 温泉施設とつながる形で建築し、温泉施設と同時オープン、一体運営をすることになった。町の乏しい財政ではすべての施設を自前でつくることは至難の業であり、国や県がこうした後押しをすることは、地域を活性化させるためには必須である。

 同年11月、三珠町大塚台地に1万2,300m²の用地を取得。本格的な事業計画、施設プランづ くりに着手する。

 話は少し横に逸れるが、施設建設地の選定には若干の紆余曲折があった。もともと温泉井戸は、麓の畑の中に掘削された。お年寄りの利用を考えれば、山の上よりも平地の方が都合がいいわけで、それは正しい選択と言えよう。
 しかし、今回は「町に人を呼びたい」という目的があり、集客力の強いものにすることが必須条件。だとすれば、この町が持っている最大のポテンシャル『眺望』を抜きにしては考えられないわけで、議論はあったが、もっとも眺望に優れた現在の施設所在地に落ち着いた。

 通常、公共施設の候補地選定は、地域エゴがむき出しになって、自分の部落に持ってきたいという意見がぶつかり合ったりして、なかなか決まらないのが常である。三珠町の場合は一貫して町長の基本方針がぶれることなく、目的に沿った予定地選定がなされたことが、まず事業成功への第一歩だった。

当初の平面プラン
初期のゾーニングプラン。中央から左側部分が県負担の活性化施設、右側が温泉施設

 県や国とPF1方式、リースバック方式での事業推進を協議するが、県では前例がないと交渉は難航、事業スキームが固まらないまま、時間だけが過ぎていった。
 ちなみに、ご一緒に計画推進にあたった町役場の担当職員の方々の努力は敬服に値するもので、ほぼ毎日明け方、動きを伝えるファクシミリが送られて来た。みたまの湯が生まれた最大の功労者は、水上町長とこんな職員の方々の熱意があったからだということを忘れてはならない。
 翌2002年12月、町が希望するPFI、リースバックの両方式とも国や県から承諾を得 られないままの状態ではあったが、県内の建築設計事務所と設計契約。

《計画建物の概要》
町側温泉施設: 床面積1,036m²、露天風呂面積250m²
県側活性化施設:床面積761m²
施設構成=男女浴室、サウナ室、露天風呂、地物をつかったレストラン、売店、マッサージ室、調理実習室、大会議室(大広間)、小会議室、研修室
農産物直売所(屋外、プレハブ造)
駐車場・駐輪場スペース5,300m²
メンテナンススペース400m²
イベントスペース(インターロッキング)300m²
周辺緑地スペース1,867m²(法面分除く)

 2003年7月、町が最後に頼みの綱としていた資金調達手段『観光その他事業債』の起債申請に内定が出る。待ちに待ったGOサインである。 直ちに建築工事、送湯管布設工事等の契約。

 11月には、温泉・活性化両施設の名前を募集。『見はらしの丘 みたまの湯 のっぷいの館』という施設名称を決定。

 「のっぷい」と言っても、地元以外の人にはわからないが、大塚台地だけの特殊な土壌を表す方言である。大昔、八ヶ岳の噴火によって降り積もった火山灰が、何故かここだけには今も残って、肥沃で柔らかな土の層がとても深い。大塚ニンジンのような1メートルにもなる作物が採れたりするのもそのため。温泉+特産品戦略が成り立ったのも「のっぷい」有ればこそなのである。

 翌春2004年3月、指定管理者の公募に当たっては、新たな試みである「公募プロポーサル方式」を採用して、幅広く民間の知恵と力を募った。4月、県内企業を指定管理者に決める。
 指定管理者の選定については、
 1.営業的な知恵とノーハウと行動力を有しているか
 2.資産その他経営の規模及び能力があるか
 3.経費の縮減が図れる提案か
などをポイントとした。

 指定管理者との協議は比較的スムーズに進んだが、施設の利用料金の設定において、地域住民の利用勝手を考え低料金を求める町側と、採算面を考慮する指定管理者側との調整に少し難航する。特に町内料金と町外料金の二本立てとするかどうかでも意見は大きく割れた。

■人気温泉ランキングはいつも上位

 2004年7月、幾多の障害を乗り越え、ようやくにしてオープンを迎える。

入浴料=大人750円・小学生500円、入湯税=中学生以上150円 (町内、町外、また高齢者の区別はつけない同一料金)
営業時間=午前10時〜午後11時(年中無休、年2日メンテナンス休館)

これまでの利用者数をご紹介すると、
2004年度 年151,622人 1日平均585人
2005年度 年274,120人 1日平均755人
2006年度 年259,087人 1日平均710人
2007年度 年264,021人 1日平均723人
2008年度 年254,902人 1日平均702人
2009年度(4・5月) 2ヶ月46,087人 1日平均756人

 直近での構成比を見ると、町民の利用3.8%、県内他市町からの利用47.9%、県外客37%である。年々、県外客の比率が上昇しつづけている。出発地別に見ると、静岡県、東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、長野県の順である。経年でみると東京、静岡、神奈川の順で増加が大きい。

 男女比では男性43.1%、女性41.2%、子供4.5%で、この構成比はオープン当初から大きく 変わることはない。
 さすがに県内ではもう三珠を知らない人はなく、昨今は県外の人に「あんた山梨だってね。じゃ知ってるよね、みたまの湯。夜景、綺麗だよねぇ」と逆アピールされたりする。特産の大塚ニンジン、トウモロコシ『甘々娘』なども、温泉活性化施設が広く知れ渡ってゆくのと歩調を合わせてブランド化が進む。
 地元民や子供たちにとっても、だんだんと誇れる郷土になってきていることは間違いなさそうだ。

町への納入金と入湯税は合算で、
2004年度 2,137万円
2005年度 4,918万円
2006年度 4,985万円
2007年度 5,285万円
2008年度 4,973万円

この額は、起債(国からの借金)の償還年額を差し引いてもおつりが来る勘定で、現時点までで評価するなら、目的は120%くらい達成できたと言っても過言ではない。

■小さなプレハブ小屋で売上7,000万円

 みたまの湯成功の最大要因は、「生みの親」の水上町長と担当職員の方々、「育ての親」の指定管理者・株式会社内外ビル(内藤ハウスグループ)両者の熱意と知恵と努力に尽きる。
 内外ビルは大規模温浴施設やビジネスホテル事業などを幅広く展開しており、そのノウハウを活かした「お客様に喜ばれる施設運営」を心掛けていること。民間ならではの営業努力や質の高いサービスが行われていること。町と共にJAや商工会など地域社会を巻き込んだ運営を常に念頭に置いていることなどが、高い集客数と売上の維持につながっている。民間活力の利用効果が十分に発揮された顕著なケースと言ってよい。

50万人目のお客様に花束を贈呈する水上町長(当時)
秋恒例のニンジンまつり

 農産物の直売所は、地元農家20人ほどでスタートしたが、現在は百数十人に増え、年間 の売上は7,000万円近くに達する。管轄JAの総売上の10%を、小さなプレハブ小屋が稼いでいることになる。町、指定管理者、JAが一体となって、特産品のブランド化や商 品開発、イベント等に取り組んできた証である。
 粗末な直売所の前に、時によっては数十人もの客の列が出来たりするのも珍しいことではない。
 また、地産地消の一つとして、施設内のレストラン「見晴らし亭」は地元野菜を使ったメニューで頑張っている。常に新しいメニュー開発にも取り組み、たぶん単一店舗としては県内の飲食店全体の中でもトップクラスにランクされる売上ではなかろうか。

■「目的外使用」という足かせ

 しかし、問題点もある。オープン3年目、山梨県は会議室等が営業に使われているのは 「目的外使用」だとして、活性化施設内にあった調理実習室、レストラン、マッサージ の使用を止めるよう強行に“指導”してきた。おかげで2006年8月、町は新たに厨房、 レストラン、マッサージ室を温泉施設側に増築せざるを得なくなる。この間、お客様には多大なご不便をおかけしたことは言うまでもない。

 活性化施設の管理運営に、国や県が1円たりとも負担をしているわけではない。その費用は町(指定管理者の民間企業)が全て賄っている。「営業」をせずに、いったいそのおカネは、どうしたら、どこから生まれて来るとお考えなのだろうか。町民から集めた税金で賄いなさいと言うことなのであろうか。

 私はこの事業の計画段階で、「必要なイニシャル&ランニング経費は、町民の貴重な税金を使うことなく、営業売上をつくって、自前で賄う」よう進言してきた。だからこそ、集客と売上つくりが可能な施設としてプランニングしたわけだが….
 「公」が果たすべき役割とは、地域を活性化させ、そこに住む人たちが豊かで生き甲斐のある暮らしをおくれるようサポートすることだと理解する。社会も人も考え方も価値観も変化してきているなかで、規制するばかりに目を向けるのではなく、活かすことを考える方にシフトすることが、いま国や県に求められているのではなかろうか。

「みたまの湯」開発コンサルタント 吉川昭二記