■ロシア・北欧編
この地域の風呂と言えば、サウナがあまりに有名。
フィンランドでは車とサウナの普及率が同程度。
北欧と言えば、これはもうフィンランドサウナがあまりに有名です。世界中で現在、「お湯」以外ではもっとも実用されている風呂の代表選手です。
100年位前までのサウナは、ログハウスの中の一角に炉があり、その上に石が置かれます。火を焚き石を焼いて、水をかけ水蒸気で部屋を熱するという、原理的にはアメリカ・インディアンの風呂と大差はありませんでした。
ところでフィンランド人は、結婚やお産のための儀式にサウナを使ったといいます。今日でも、多くの中年のフィンランド人たちは、サウナ室で生まれたことを自慢します。
ちなみにフィンランドでは現在、300社以上のサウナストーブ製造会社があり、プレハブ・サウナ小屋を建てる会社は数百社にも及びます。さすがサウナ大国ですね。
フィンランドでは、車の保有率と、サウナの保有率がおおむね同じ程度と言われており、ほとんど一家に一台って感覚なんだそうです。
お客さんをもてなすのも、家族団らんも全てサウナという国ですから、同じ欧米人でもフィンランドに出張すると、さすがにカルチャーショックを覚える人が多いとか。
ロシア生まれのバニア
【イラスト下】は、ロシアの16,7世紀頃の「バニア」といわれる風呂の内部です。
フィンランドの隣国ですから、当たり前のことですが、呼び方が違うだけで、内容的にはフィンランドのサウナと全くといってよいほど同じです。サウナもバニアも、その昔は半地下だったり、地下室を利用していたようです。また、イラストで見るように男女混浴が当たり前のようでした。
ナポレオンを追ったロシア軍と共に、バニアもドイツへ
1800年代はじめ、ロシア奥深くまで攻め込んだナポレオンでしたが、冬将軍に阻まれ、ロシア軍の反撃を受けて敗走します。ロシア軍はフランス軍を追い払いながら、さらにドイツまで追走し、そこで、彼らはドイツの人々の解放者として歓迎されます。
このとき、ロシア軍と一緒に「バニア」がドイツにもたらされることになります。そして、またたく間に主要都市にバニア施設がつくられたといいます。
ドイツは現在、フィンランドと並ぶサウナ工業国であり、利用も高い国ですが、その一端はロシア軍と共にやってきたバニアだったというわけです。
アメリカへは移民と一緒に移住
1638年、デラウェア川のあたりに北アメリカでの最初のサウナが、フィンランドの移民によって造られました。ちなみにコーヒーがアメリカに渡ったのも、このちょっと後くらいです。
しかし、アメリカ人にサウナが根付くにはかなりの時間を要し、第2次世界大戦後まで待たなくてはなりません。
フィンランドのスポーツ選手が国際的に活躍するようになり、フィンランドの選手が強いのは、トレーニングにサウナを取り入れているからだ、と騒がれるようになってからのことです。
その後、アメリカのスポーツ+サウナの関係に勢いがついて、1960年代ついに東京オリンピックの選手村にもサウナが付くようになります。ちょっと話は逸れますが、日本でのサウナ店第1号は、東京オリンピックのときにつくられた後楽園サウナだと言われています。
あのケネディ大統領と彼の家族も、ホワイトハウスにつくられたサウナを楽しんだと言いますから、このころがアメリカ人にとってのサウナ元年なのでしょう。
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一方、ロシアのバニアも1800年代後半、移民と共にアメリカ合衆国に渡り、家に浴室を持たない貧しい階層に利用されました。
また、幸運な移民の一部はニューヨークやシカゴ、ロサンゼルス、サンフランシスコといった大都市に、バニア施設をつくり、繁盛させたようです。
アメリカに渡ったバニアは、トルコ風呂と組み合わせられることも多く、現在、アメリカで営業されている「ロシアンサウナ」と呼ばれる施設には、トルコ式のスチーム浴が必ずあります。
余談ですが、禁酒法でアル・カポネが暗躍した時代、シカゴでは、バニア店はギャングたちのための安全な場として重宝がられたそうです。全員が一糸まとわぬ裸のバニア内では、ヒットマンも銃を隠すのが難しいわけで、不意に襲われる危険が無い唯一の場所だったというわけです。
サウナとバニアの数奇な関係
ところで現在、「バニア」という言葉を聞いて、サウナのことだと知る日本人はほとんどいないと言ってもよいでしょう。誰か人の名前?くらいには思ってもサウナにまで行き着く人は、業界人でも稀でしょう。
サウナとバニア。同じものなのに、なぜ大国ロシアの「バニア」という名称は歴史から消え去り、小国フィンランドの「サウナ」だけが残ることになったのでしょうか。不思議な気がしませんか?
そこには第2次世界大戦後の複雑な国際関係が、大きく影響していたのです。
東西冷戦下にあったソ連は、西側との貿易がままならなかったし、軍事産業偏重のなかでバニアの改良など、考えもしませんでした。
一方、フィンランドはサウナの燃料を薪から電気、ガスへと転換(近代化)を図り、国の威信をかけ世界への売り込み宣伝に総力を挙げました。
「サウナ」を国の象徴と位置づけ、サウナを広めることが、フィンランドという国の存在をアピールすることと考えたのでしょうね。結果、現在に至ったいるというわけです。
ちなみに隣国スウェーデンは、フィンランドとの確執の中でサウナを有害と決めつけ、自国での普及に歯止めをかけたと言われます。これも政治的意図があったわけです。たかがサウナなどというなかれ、政治の裏舞台でもそれなりに活躍しているのですぞ。
2004年追補改訂